◆泥染の誕生
奄美群島では平安の昔から上布が織られていました。はじめは自生していた麻や芭蕉の繊維でした。やがて江戸中期には桑の木が植えられ、絹がつむがれるようになりました。インドのイカットがルーツとされる絣の技法が伝来していた奄美の人々にとって、紬を織ることはたやすいことであったのでしょう。イカットというのは、マレー語で縛るとか、結ぶなど、絣(かすり)の技法を意味する言葉です。5~6世紀ごろ、インドからスマトラ・ジャワ・チモール島などのスンダ列島にひろく伝わったと言われています。
ところが薩摩藩は租税としてこの高級な紬に目をつけました。奄美大島では紬の着用禁止令(1720年)が発布され、奄美の人々は紬を着たら罰せられたというのです。美しい紬を織りながら自分では着られず、上布をまとう島民の気持ちはどんなにかさみしかったことでしょう。
そして泥染はこうした背景の中から生まれました。ある日、代官の調べを受けた農家の主婦が自分の呉服をそっと泥田に入れて隠し、後で取り出して洗ったらテーチ木で染めた茶褐色が黒く変わっていたといわれています。奄美大島の泥染紬誕生の伝説です。
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